August 29, 2010

Les Deux Demoiselles et un Monsieur

Quelles belles charmantes accompagnées par un beau monsieur.
Quelle joie...d’être avec deux amies qui partagent avec moi une bonne amitié.
Quel bonheur...de raconter nos témoignages dans la vie.

Quel plaisir...que nous avons eu l’opportunité de se rencontrer après si longtemps et une distance incroyable géographique entre nous.

Quelle beauté...debordée de leurs coeurs pleins de sincerité et innocence.

Quelle bénédiction...que Dieu utilise l’une d’elles pour le Salut de nos compatriots.

Quelle merveilles...que nous soyons frère et soeurs dans le Seigneur !

Quelel espérance...que Dieu nous

bénisse chacun et tous les trois !

August 25, 2010

永遠の神の都 <聖なる都エルサレム>

<聖城>舉世聞名,有多國語言歌詞。目前我已學會英文原詞與中文譯詞,多虧於日本廣島牧會的牧師朋友酒井敬仁的幫忙,有了日文譯詞,準備學著唱。日文歌詞詞藻平實,意境優美,運用不少古典日文,將原曲詩意譯得淋漓盡致。與中文意義同列於下:

夢路に有りて 我は見たり

在夢境中我見到

昔の町なるエルサレムを

古城耶路撒冷

子供等の声 地を揺るがし

孩子們的歌聲傳遍大地
御使い達も 共にぞ歌う

天使們也一同響應
御使い達も 共にぞ歌う

天使們也一同響應

エルサレム、 エルサレム!いざ迎えよ

耶路撒冷,耶路撒冷! 一同來迎接

王なる御子イエス ホザンナ! ホザンナ!と

聖子主耶穌,向祂高唱「和散那,和散那」 !

夢路の景色は 何時か去りて

夢境中景況不知何時改變了

ホザンナの声 巷になく

街道中不復聞讚美歌聲

日は陰り始め 雲湧き出で

烏雲湧出遮蓋太陽,致使黯淡無光

カルバリの丘には十字架の立つ

加利利的山丘上,孤立著十字架

カルバリの丘には十字架の立つ

加利利的山丘上,孤立著十字架

エルサレム、 エルサレム!聞け御使い

耶路撒冷,耶路撒冷! 聽聞天使歌唱

尚もうとうを ホザンナ!ホザンナ!と

他們不斷高唱「和散那,和散那!」

何時か目の当たり真新しき

不知何時我又看見

永久の町 来たるを見ゆ

簇新的永恆之都降臨

御光りの中に 門は開け

榮光之中,城門開啟

来たらば誰も 入りうべし

凡來者都能邁入

月日の光は 其処に有らず

此地無需日月之光

御神の光りの輝くのみ

唯有神的榮光燦爛輝煌

御神の光りの輝くのみ

唯有神的榮光燦爛輝煌

エルサレム、 エルサレム、夜明けは来ぬ!

耶路撒冷,耶路撒冷! 黎明已然來到

神の都は遂にあもりぬ

神的聖城已然降臨

ホザンナ 永遠の神の都よ

讚美神那永恆的聖城!

日文版<聖城>
http://www.youtube.com/watch?v=oLCUmEHNw50


August 24, 2010

올챙이&개구리

在文藻上韓文課及後來在屏師院在韓文課時,都學過這首可愛活潑,帶有動作的韓文兒歌。歌詞簡單易學,動作也頗有創意。課堂上老師邀大家起身,來個全班帶動唱。大伙兒都熱情參與,增添許多樂趣。YouTube上也找得到影片。http://www.youtube.com/watch?v=iComKP3nC9g


개울가에 올챙이 한 마리
小水塘中有隻小蝌蚪

꼬물꼬물 헤엄치다
扭動身體游來游去

뒷다리가 쑥 앞다리가 쑥
後腿一伸,前腿一伸

팔딱팔딱 개구리 됐네!
蹦蹦跳跳變成青蛙

꼬물꼬물 꼬물꼬물
游來游去 游來游去

꼬물꼬물 올챙이가
游來游去的小蝌蚪

뒷다리가 쑥 앞다리가 쑥
後腿一伸,前腿一伸

팔딱팔딱 개구리 됐네!
蹦蹦跳跳變成青蛙

不過個人對韓國與韓文的所知還是太有限。別的不說,就拿歌謠來說,我個人只知道<阿里郎>、<桔梗花>、<三隻熊>與<蝌蚪與青蛙>…要再充實充實對韓國的認識囉!

August 22, 2010

享受吧!一個人的旅行 ~Eat, Pray Love~

20069月到比利時當交換學生起,我對旅行的熱愛就被點燃,至今仍旺盛地燃燒,且似乎永不熄滅。回到歐洲後,至今去了不少地方,一切見聞都令我驚嘆世界之大,人之渺小!感謝上帝賜我開闊且樂於學習的心,及如無底洞般的求知欲。

每次旅行,都是單槍匹馬,但從不感到形單影隻。一來不必擔心、考慮同伴;二來可以盡情為所欲為,不受限制。旅程中交到不少朋友,也常邂逅神差派而來的天使。內心因著美景、美食與新知而得滿足。無疑地,旅行是一種知性的享受,也是無止境的學習。影后茱莉亞羅勃茲(Julia Roberts)最新作品劇名,一針見血地道出我的感受:
本劇改編自暢銷小說<Eat, Pray, Love
內容協述事業成功,家庭原本美滿的女子,在受丈夫離棄後,傷心之餘決定請假一年,藉旅行療傷止痛,豐富生命。全劇拍攝地點包括洛杉磯、義大利、印度與印尼,充滿濃郁的美食與文化氣息。 預告片中看到羅馬親自造訪過的競技場、百吃不厭的spaghettipizza,內心倍覺親切!印度的街道,印尼的傳統節慶,也感到新鮮且引人入勝。
電影尚未上映,我已迫不及待想親自觀賞。並期待再次拎起行囊,好好地

August 21, 2010

Le Divorce

為打發時間,解解悶兒,偶爾也看看純粹娛樂性質的電影。每當看到劇中出現我曾親自走訪之處、立刻會過意的雙關語或他國語言,就不禁露出會心大笑。改編自暢銷小說的文藝小品電影<Le Divorce>即是如此。


Le Divorce>描敘兩名美國姐妹在法國巴黎的經歷與遭遇,內容諧趣橫生,充滿濃濃的法式浪漫情調。劇中自然不乏大量法文對白,多數意義我一聽就懂,點頭稱是或拍案叫絕!飾演要角的凱特哈德森(Kate Hudson)、娜歐蜜華茲(Naomi Watts)與葛倫克蘿絲(Glenn Close)等三位知名演員們自然得說上幾句法文,不過有些發音對美國人來說還是困難了點!硬著頭皮說的結果,顯得彆腳而不自然。不過因已走訪巴黎四次,又生活在法國,自然還受到濃厚的親切感!其他在法國拍攝的美國電影也讓我有同感,





其他在法國拍攝的美國電影也讓我有同感,如梅莉史翠普的近作<美味關係>

梅格萊恩早年的<情定巴黎>

與集結美法十數名導演與演員通力合作的綜合小品<巴黎我愛你>等。

August 16, 2010

聖なる都:歌詞の意味に就いての説教

如許多著名詩歌,<聖城>亦為譯為多國語言,舉世傳唱。日文曲名為<聖なる都>,字面意義為「神聖的都市」。瀏覽Yahoo日文官網時發現日本東京經堂綠綱教會牧師松本敏之於2005年復活節以<聖城>為主題的講道,如下文:

イザヤ書65章17~20節
ヨハネの黙示録21章22節~22章5節
2005年3月27日 復活祭経堂緑岡教会  牧師 松本敏之

復活祭おめでとうございます。今日は、聖歌隊の方々と器楽の方々が、「聖なる都」The Holy Cityという美しい讃美歌を演奏してくださいました。この曲は、フレデリック・エドワード・ウィーザリー(Frederic Edward Weatherly,1848~1929)の作詞、スティーヴン・アダムス(Stephen Adams,1844~1913)の作曲で、1892年に英国で出版されたものです。

ウィーザリーという人は有名な作詞家で沢山の詞を書き残しました。1500以上の曲が出版されているそうです。讃美歌では、この「聖なる都」以外に、「ベツレヘムの星」(The star of Bethlehem)という曲が有名であり、讃美歌以外では、「ダニー・ボーイ」や「ロンドン橋」などもあります。一方、作曲をしたスティーヴン・アダムスは、本名マイケル・メイブリック(Michael Maybrick)と言って、やはり19世紀終わりから20世紀の初めにかけて活躍した作曲家です。ウィーザリートとの共作も多く、「ベツレヘムの星」もこのコンビで作られた曲です。

三つの場面
この歌は三つの場面から成り立っていますが、これは単に一人の人間の夢というのではなく、聖書に基づいています。聖書に約束された幻だと言ってもいいでしょう。

最初の場面ではエルサレム神殿の周りで、子ども大人も楽しそうにしています。子供達の声は天使の声のようであった、と言います。それは無垢の状態と言えるかもしれません。そこにはある種のシャローム、神の平和が存在していました。エルサレム神殿の周りには神の国が実現していたとのです。これは一種の回想です。過去を振り返って、「ああ、あの時代はよかった」と言っているのです。

エルサレム神殿が完成したのは、ダビデの息子、ソロモン王の時代でした。イスラエルの歴史の頂点、高潮でした。その後は悲惨な、苦しみの時代が長く続きます。北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂し、北はアッシリアに滅ぼされ、南はバビロニアに滅ぼされ、イスラエルの民はバビロン捕囚となります。

第二の場面は、その苦しみの現実を歌っています。ウィーザリーは、それをただ単にイスラエルの苦難の歴史として描くだけではなく、そこにイエス・キリストの十字架の影を重ね合わせました。 イエス・キリストがこの世界に来られた時、その周りには神の国が実現していたと言えるでしょう。イエス・キリストは言われました。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:22)。 子供達がその周りで喜び、踊りました。ガリラヤの人々も喜びに満たされました。エルサレムの人々も歓喜して、驢馬の子に乗ってこられたイエス・キリストをダビデ王の再来、「ダビデの子にホサナ」と言って、出迎えたのです。しかしその喜びはそのまま永遠に続いたわけではありませんでした。断絶があるのです。かつてイエス・キリストご自身が言われたとおりです。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る」(マタイ9:15)。暗い影が差しているのです。

私たちの人生においてもそのように思える時があるのではないでしょうか。「あの頃はよかった。あの頃、私の人生は輝いていた。しかし今は暗い影が差している。苦しみの中を歩んでいる。できることなら、あの頃に戻りたい。」 

イスラエルの民もそう思ったのでした。「あのダビデ王のような時代、ソロモン王のような時代をもう一度ください。」しかしイスラエルの民に与えられた答えは、彼らの望みどおりのものではなく、彼らが全く予期していなかったものでした。それが、今日、読んでいただいたイザヤ書65章の預言です。
「見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない」(イザヤ65:17)。

彼らは失われたものの回復を望んでいたのに、神様が与えると約束されたものは新しい創造でありました。再創造(リクリエーション)と言ってもいいかも知れません。彼らは過去をいつもふりかえり、それをよりどころにして生きていたのに、もうそうする必要がない。過去を忘れることができるというのです。それほど大いなることが起こるということです。

 「代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、私はエルサレムを喜び躍るものとしてその民を喜び楽しむものとして創造する。わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない」(イザヤ65:18~19)。
(3)小羊が都の明かり

 イザヤが語ったこの預言は、ヨハネの黙示録の中に形を変えて、よりはっきりとしたヴィジョンとして再び現れます。それは、今日の歌にも歌われた「聖なる都」エルサレムです。ヨハネはこう語ります。 「わたしは、都の中に神殿を見なかった」(黙示録21:22)。神殿とは神様が住まわれるところです。聖なる都に神様が住まわれる神殿がないというのは、矛矛盾ではないでしょうか。そうではありません。「全能者である神、主と小羊が都の神殿だからである」(同22節)。 なぜ神殿がないのか。それは父なる神様とイエス・キリストご自身が、神殿として、神様の住まいを超えた住まいとして、おられるからです。そしてその都には、「それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」(同23節)。小羊とは、イエス・キリストです。イエス・キリストが光として、明かりとして住んでおられる。美しい言葉です。 私たちのこの世界にもイエス・キリストが隠れた形で住んでおられて、イエス・キリストのまわりは、神の国が実現していたと言いました。しかし来るべき、その聖なる都においては、そういう隠れた形、分かる人にだけ分かるという形ではなくて、すべての人に明らかなように、イエス・キリストのまわりはさんさんと輝いている。それが聖なる都のイメージであります。 私たちは、この永遠の聖なる都を憧れて思いつつ、それぞれ自分の時を歩むことを、今許されているのです。皆さんの中には、この第二の場面にありましたように、苦しみ、悲しみ、嘆き、そうした暗い影の中を歩んでいるように思っておられる方もあるでしょう。しかし、それは永遠に続くのではありません。やがて終わりが来る。そしてもっと素晴らしい世界が、私たちの前に立ち現れるというのです。
(4)新しく生まれ変る

 復活祭はイエス・キリストが復活し、死の世界を打ち破られたことを記念する日であります。そしてそのイエス・キリストの復活に続いて、私たち一人一人も復活すると、預言されております(Ⅰコリント15:12~20)。その体が一体どんなものであるかはわかりません。パウロは、そういうことを詮索する人がいるけれども、愚かなことだと言っております(Ⅰコリント15:35~36)。肉の体が滅んで、霊の体として復活する。それは私たちの想像、すべての概念を超えたものであるから、私たちにはどんなものかわからないはずではないかと言うのです(Ⅰコリント15:42~43)。 終わりの日に実現する聖なる都。その所で、私たちも、新しい体になって迎え入れられるということを、心に留めたいと思います。私たち自身が新しくされて、新しいところに向かって歩み行く勇気を与えられる言葉ではないでしょうか。

今日は、3人の姉妹が洗礼を受け、一人の若い兄弟が信仰告白をして、新しく出発いたします。パウロは、洗礼というのは、古き自分に死に、新しい人間に生まれ変ることだと言いました(ローマ6:1~11参照)。この喜びの日、終わりの日を見上げる日に、そうした新生が与えられることを、共にお祝い致しましょう。

August 15, 2010

The Holy City ~聖城~

沒有任何一首詩歌,將啟示錄中新天新地華麗榮美的景象,描寫的比<聖城>更加淋漓盡致,憾動人心!由史蒂芬‧亞當斯(Stephen Adams)作曲,弗烈德‧衛瑟理(Frederic Edward Witherly)作詞,1892年首於英國問世。亞當斯與衛瑟理合作多首著名詩歌。衛瑟理是活躍於19世紀末與20世紀初知名的作詞家,作品包括<丹尼男孩>,<倫敦鐵橋>等。我多年前首次在屏東師範學院斜對面的國語禮拜堂聽該堂詩班演唱時,尚無法瑆解,也沒特殊感覺。如今年紀增長,對信仰的認識增深,靈命較以往成熟,再度聆賞此曲時即大為激賞,感動的程度難以言喻!全曲近五分鐘,屬大型詩歌,精華樂段莫過於第三段,副歌重複時達到全曲最高潮,威震八方,氣勢恢宏磅礡,上達天聽,歸與神何等豐盛的榮耀!

返台過暑假期間,終於有機會一流鋼琴家合作此曲。為求完美一再練習,期願呈現給上帝最美好的結果!朋友為我錄影,做為永久紀念。也願一切榮耀歸與神!也讓我們期待有朝一日歸返聖城,這座永恆璀璨的家園!

'

Last night I lay a-sleeping
昨夜拑然安睡中
There came a dream so fair.
忽來甜蜜美夢
I stood in old Jerusalem
我佇立耶路撒冷城
Beside the temple there
近莊嚴聖殿旁
Methought the voice of angels
我想是天使歌唱
From Heaven in answer rang
綸音宛轉清揚
Methought the voice of angels
我想是天使歌唱
From Heaven in answer rang
綸音宛轉清揚

Jerusalem, Jerusalem!
耶路投冷,耶路撒冷!
Lift up your gates and sing!抬起頭來歌唱!
Hosanna in the Highest!
和散那歸至高神!
Hosanna to the King!
和散那歸君王!

And then methought my dream was changed
昨夜夢境又再轉變
The streets no longer rang
街道不聞聲響
Hushed were the glad Hosannas
歡愉的讚美歌聲
The little children sang
已不復再悠揚

The sun grew dark with mystery
神祕黑影籠罩太陽
The moon was cold and chill
清晨寒凍冰涼
As the shadow of a cross arose
十架清影巍然矗立
Upon that lonely hill
在那孤寂山巔
As the shadow of a cross arose
十架清影巍然矗立
Upon that lonely hill
在那孤寂山巔

Jerusalem, Jerusalem!
耶路投冷,耶路撒冷!
Hark how the angels sing!
聽見天使歌唱
Hosanna in the Highest!
和散那歸至高神!
Hosanna to the King!
和散那歸君王

And once again the scene was changed
夢境突然又再轉變
New Earth there seemed to be
新天新地降臨
I saw the Holy City beside the tideless sea
華麗聖城聳立在,平靜無波海繽
The Light of God was on the streets
上主榮光照耀街道
The gates were open wide
城門豁然開啟

And all who would might इंटर
凡來的人都受歡迎
And no one was denied
同向自由地行
No need for moon nor stars by night
夜間無須月亮星辰
Nor sun to shine by day
白天無須太陽
It was the new Jerusalem that would not pass away
此乃簇新耶路撒冷,將垂千秋永遠
It was the new Jerusalem that would not pass aवे
此乃簇新耶路撒冷,將垂千秋永遠

Jerusalem, Jerusalem!
耶路投冷,耶路撒冷!
Sing for the night is o'er!
歌唱黑夜消散!
Hosanna in the Highest!
和散那歸至高神!
Hosanna forevermore!
和散那千秋永遠!
Hosanna in the Highest!
和散那歸至高神!
Hosanna forevermore!
和散那千秋永遠!

YouTube上最好的<聖城>影片
http://www.youtube.com/watch?v=rRil3T1Ey7A

August 14, 2010

L'Adoration Vivante

「敬拜」是每位上帝的兒女對祂表達尊崇、感恩、歌讚與愛的方式。絕不是形式更不是儀式而是蒙主恩惠感恩之餘自發並由衷的反應。聖經明示當口唱心和讚美祂,因祂本為大,當受極大讚美。並普天下當向耶和華歡呼,當歸與祂一切榮耀與讚美。詩篇最後幾篇所敘述的,是何等活躍、火熱、生氣蓬勃的敬拜!尤其是詩篇150篇,明示當以各樣樂器與舞蹈讚美神,並「凡有氣息」的都當讚美祂。

因此,敬拜理應是生氣勃勃地歡聲雷動,歡騰鼓舞,而非手捧詩歌本或盯著銀幕死氣沉沉地照本宣科。神造我們為有靈的活人,不是按鈕就唱的敬拜機器人。我完全無法想像眾天使天軍們會如樹幹般在主前立正站好,聽神的口令才左一句「哈雷路亞」,右一句「和散那」。更不可能像尼姑誦經般重複單調的旋律,氣氛令人窒息。

八月時到臺北訪友,參與寇紹恩牧師的教會<基督之家>的敬拜。該教會蒙主厚福,成長快速,如今已借用成功高中大禮堂舉行敬拜。其活力十足,生氣蓬勃的敬拜

才是神眾子女當有的敬拜態度與方式。沒錯,神看內心不看外貌,但唱歌本為樂事,唱歌讚美神又更是喜悅無窮,為何要緊繃、心怯。小家子氣地動動嘴唇?應拿出活力來,與眾歡騰,擊鼓跳舞盡情讚美才對!

August 10, 2010

La Scala

義大利是歌劇的發祥地,歷世歷代出了許多出類拔萃的歌劇作曲家,齣齣雋永的歌劇在其腦中成型,訴諸樂譜,化為音符,自歷代演員口中唱出,風靡世界各國,永恆不朽。既然如此,來到米蘭,當然不能錯過聞名遐邇的史卡拉歌劇院(Teatro alla Scala)

史卡拉歌劇院完成於1778年8月3日,是舉世聞名的歌劇院之一。規模不大,但處處充滿藝術氣息。院內歌劇院與博物館兩部分皆對外開放,並定期有極高水準的歌劇演出。

(由此進入)

(階梯旁牆上以歌劇海報裝飾)

能夠入內參觀,令我格外興奮。博物館部分展示各式樂器、音樂家與些許義大利貴族肖像。不過嚴禁攝影,因此再怎麼手癢也得守規,甚是可惜。我原以為歌劇院的部分也禁止攝影,見兩名大陸旅客照相還出言制止。他們立即如此反應:「噢,對不起!請問你是這裡的職員嗎?」哇,一語令我笑在口頭,爽在心頭!不過其實警衛們都睜隻眼閉隻眼,讓我照個過癮!

(雕樑畫棟般的歌劇院大廳)

(大廳內普契尼胸像)

(托斯卡尼尼胸像)


(歌劇院。舞臺正整修中,禁止進入)



(金碧輝煌,美輪美奐!)

(二樓包廂中留影)

由於我亦酷愛歌劇,平常也略為涉獵,見到樓梯旁牆上幅幅歌劇海報時,禁不住發出明瞭的微笑。在史卡拉上演過的歌劇包括:
※華格納的名作<羅恩格林>

※威爾第晚年名作<法斯塔夫>

※威爾第的<化粧舞會

華格納的<諸神的黃昏>,為<尼貝龍根的指環>(Der Ring des Nibellungen)第四部。原劇名為Götterdämmerung。此為義大利文譯名

※威爾第經典名作<阿依達>

※威爾第名作<弄臣>

※華格納名作<崔斯坦與伊索德>。原德文劇名為Tristan & Isolde

※華格納名作<萊茵的黃金>,自<尼貝龍根的指環>第一部,原劇名Das Rheingold

※威爾第晚年名作<奧塞羅>,改編自莎翁同名悲劇

※法國歌劇作曲家比才(Bizet)曠世名作<卡門>

※普契尼名作<波希米亞人>

※普契尼名作<杜蘭朵公主>

※威爾第改編自小仲馬同名小說的名作<茶花女>。(義大利文劇名原意為「蕩婦」)

※托斯卡尼尼名作<命運的力量>'

※普契尼名作<蝴蝶夫人>

※威爾第名作<托斯卡>

※貝多芬唯一一齣歌劇<費德里奧>

※莫札特早期的歌劇<女人皆如此>

史卡拉之美,筆墨言語難以形容。惟願有朝一日得盛裝前往聆賞大師名作,沉浸藝術殿堂,乘著旋律的翅膀一去忘返…若能如此,夫復何求?

August 05, 2010

Emma Thompson Parle du Chinois!

幾天前在YouTube上發現一令我驚奇的短片。十多年前英國影藝學院(BAFTA)年度頒獎典禮上,李安執導的首部英國電影<理性與感性>
榮獲最佳影片。由於當時李安正在紐約拍攝新作<冰風暴> 無法出席,由劇中擔任女主角的艾瑪湯普遜(Emma Thompson)代為與製片琳琪杜蘭(Lindsay Doran)同台領獎,代替李安致謝辭。身為英國人並首度與中國人合作的艾瑪,為讓謝辭「中國化」,以中文說句「謝謝你」,想必是李安教的吧!琳琪在製辭時也不忘改謝李安,很開心有機會合作。在進行下個程序前,典禮主持人也依樣「話」葫籚地用中文說「謝謝你」。令我聽來倍感親切!

李安的書<十年一覺電影夢>提到,<理性與感性>劇本由艾瑪湯普遜費時四年寫成(她也因此獲得奧斯卡最佳改編劇本獎)
他則是受聘執導的第13位導演,才確定由他掌鏡。合作過程中因文化、觀念等的差異,兩人時有衝突。在影片首映會上,親臨現場觀影的察爾斯王子問李安:「How do you keep English actors under control ?」李安還自嘲很假仙地說:「Oh, they’re fine, they’re great...」為慶祝影片成功,主要演員們(除艾瑪外,還包括凱特溫絲蕾、休葛蘭、湯姆威金遜與亞倫瑞克曼等當今英國一線演員)全到場慶功,合編了首<李安之歌>感謝他。當時與艾瑪的僵局已化為烏有,取而代之的是彌留一生的合作情誼與友誼。往後李安在國際影壇大放異彩,並成為首位榮獲奧斯卡最佳導演的中國人
相信艾瑪亦感與有榮焉。

值得一提的是,這屆BAFTA頒獎典禮上,艾瑪也以本劇擊敗<遠離賭城>
的伊麗莎白蘇(Elizabeth Shue) <瘋狂喬治王> 的海倫米蘭(Helen Mirren) <愛的機密> 的妮可基嫚獲封最佳女主角,領獎致辭時對李安感謝有加。我至今仍十分欣賞這位英國才女,只可惜她一直沒再與李安合作…

艾瑪湯普遜在新作首映會上與李安合影
<理性與感性>榮獲英國影藝學院最佳影片
http://www.youtube.com/watch?v=bqAjW4nDNHw

Je suis...

My photo
基督徒。12歲時讀了安徒生的傳記後取他的first name "Hans"做英文名字,信主成為基督徒(Christian)後有朋友以安徒生的本名Hans Christian Andersen稱呼我。我的法文名字叫François,"自由"之意, 取自法國名導演楚浮(François Truffaut)。 畢業於文藻外語學院。目前從事GoodTV的影視翻譯工作。在學期間主修中英筆譯與口譯(逐步口譯與同步口譯),同時學習韓文,義大利文與葡萄牙文。除目前會中文,台語,英文,日文與法文外,很有野心想精通所學的這幾種語言。有更大的野心要學/精通德文,西班牙文,荷蘭文,甚至更多。願以神這般的恩賜服事祂,因若沒有祂,我就算不得什麼。感謝主!有祂的人生真的太棒了!我英文名字"Hans"的意思就是"神是滿有恩典的"。因此信主至今我對生命最大的體會就是La Vie est Belle - 生命是美麗的!